先日、つみフェス2017なるものが開催されて、金融庁よりつみたてNISAについての説明があったみたいですね。
ところで、つみたてNISAという制度とシートベルトの着用義務にはある共通点があります。
逆に、シートベルトの着用義務とスピード違反には大きく異る点があります。
なんだかわかるでしょうか?
自由と法律
現代というのは個人の自由を尊重するのが一つの社会原理となっている時代ですので、僕たちには他人に迷惑をかけない限りにおいて比較的自由に生きていくことができます。
例えば窃盗や殺人というのは、他人の私的所有権や生存権を侵すものであるため、規制されるのは当たり前ですよね。
スピード違反を規制せざるを得ない理由も同じで、スピード違反は事故を起こした場合に他人に迷惑をかけることになります。
でも、シートベルトはどうでしょうか?あるいは、ヘルメットの着用義務やドラッグの使用について考えてみても良いでしょう。
シートベルトを締めなかった場合、自分が死ぬリスクは増えるかもしれませんが、他人に迷惑はかかりません。
自由を尊重してるはずの世の中で、どうしてこのような法律が存在するのでしょう?
父親的な温情
ここで、パターナリズムという概念を理解する必要があります。
パターナリズムとは、父権主義、温情主義などと訳される用語で、社会学などの学問でもよく登場する言葉ですが、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志に反してでも行動に介入・干渉することをいいます。
父親(特に伝統的な価値観の)というのは、あくまでも「相手のことを思った上で」、子供の自由を侵害するということを往々にして行いますね。
近代的な国家観においては、市民はそれぞれ理性的な判断力を持っており、自己決定権を持っているということになっていますが、子供は未熟であるがゆえに適切な判断能力がありません。
だから父親がその代理として、「本人のためになるような」判断をしてあげる、というわけです。
シートベルトの着用義務についても全く原理で説明されます。
国は未熟な国民にたいして上から目線の立場に立ち、国民のためにその自由を制限する、ということです。
大人(政府)と子供(国民)
さて、つみたてNISAも非常にパターナリスティックな性格を持った制度といえます。
今回のつみたてNISAでは今までのNISAとは異なり、運用の対象として選べるファンドが激減しました。
僕たちが理性的な自己決定力を持っているのであれば、選べる対象は多ければ多いほど良いはずですが、金融庁にとってはまだ国民は子供扱いされている、ということですね。
この決定には、現NISA制度の反省があったのではないかと思います。
NISAの上限が120万円と、12ヶ月でキレイに割り切れる数になっていることからも分かる通り、インデックス投資への積立が国民の間に広まると期待していたのに実際はそうならず、短期売買の枠として使われるようなケースが頻発してしまった、ということでしょう。
山崎元先生がおっしゃっていましたが、今回のつみたてNISAは金融庁から国民への教育プログラムである、ということもできるかと思います。
もうここまでするならインデックス投資は国民の義務でいいんじゃねくらいにも思えてきますが、リスク資産への投資というのは必ず自己責任を介さないと下落したときの責任問題になるというのがめんどくさいところですね。
前の記事でも書いた通り、僕にとっては正直あまり魅力のない不自由な制度になってしまいました。
また、似たような積立による税控除の仕組みとして、自分用年金をためることのできるiDecoという制度があります。
運用益の他に、所得税・住民税も控除になるためお得度としてはこちらのほうが高いのですが、60歳になるまで引き出せないという致命的な欠点があります。
なんかつみたてNISAもiDecoもほとんど同じような制度の割にどっちもどっち感があって、あまりよろしくない気がしますねえ。
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