人狼というゲームについて思うこと




ルンバという自動掃除機が足の長いソファのある部屋の価値を高めてくれるように、10人以上の人的資源が一つの場所に集中している、その場所の価値を飛躍的に高めてくれるのが人狼というゲームだ。他のボードゲームのようにテーブルのスペースもたいして必要とせず、お酒の場などでも気軽にプレイすることができる。GMがゲームに参加できない、早く死んだ人が暇、などの問題はあるが、それを差し引いても大好きなゲームだ。

人狼とはどのようなゲームですか、と問われたときの返答は、おそらく人によってまったく異なる。僕は人狼との出会いが友人とのインナーサークル的(某W大学界隈)なネット人狼だったため、近年のテレビ人狼などで人狼を知ったという人と、かなり印象が違う実感がある。その辺の話をしてみようと思う。

人狼の推理はおおよそ3つのレベルに分けられる。

  1. 論理
  2. 論理+メタ情報
  3. メタ情報のみ

順に解説していくが、その前にメタ情報とは何かを定義しなくてはならない。ここでいうメタ情報とは、夜の間に占い師が動く音が聞こえた!というようなものだけではない。表情、仕草、口調などの人間的な情報を含む。この定義自体が、僕の人狼観を象徴しているという気がするが、これらはインターネットでお互い匿名のHNでプレイする限り、あまり表に出てこない情報であった。

1.論理

人狼には論理的に正しい、といえる推理が存在する。これは○○が真占いだとすると狼陣営の数がおかしくなってしまうので○○は偽確定だ、というような推理である。村人が余計な騙りをしないなどの前提はあるが、演繹的に導かれたものであるため前提が正しければ100%正しい。他にも、初日は村人が吊られて次の日霊能が1人しかCOしていなくて対抗が出てなく、狼に噛まれた人が霊能でなければこの霊能は真であるため、真の確率が高い、というような推理もこちらに分類される。霊能が真である確率は100%ではないが、この推理自体は正しい。

2. 論理+メタ情報

○○が人狼だとすると、△△は初日の吊り候補として○○に投票していたので△△は白だ、というような推理がこちらに分類される。他にも、○○が狼だったら確定白を残して△△を噛みにいくことは考えにくい、というような推理もこれである。一見論理的だがどうだろうか?これらの推理の特徴は、相手が常にこの推理の裏をかくことができる、という点である。だからこそ相手にはあえて逆の行動を取る理由が存在する。これだけの情報だと結局この推理が正しいのかはわからない。実は、これらの主張は最終的に、○○の性格、人狼ゲームの熟練度、仕草などが参照先になっている。「この人なら」、完全にグレランで身内狼には投票しないだろう、といった具合だ。

3. メタ情報

○○は嘘をつくときに顔が赤くなるから人狼だ、というような推理がこちらにあたる。要するに、(狭義の)ゲーム内の情報ではないところからの推理である。信頼度はあまり高くないが、人間同士の対面プレイである以上、この推理が成立することはあり得る。

以上、大雑把に言って、1>2>3の順に信頼性の高い情報であるので、この順に考えていくべきである。僕が人狼をいいゲームだと思うのは、適切な人数と役職でプレイすれば、1と2がいいバランスで必要になるからだ。論理的に正しい情報のみである程度の可能性を絞ることはできるが、大体のゲームにおいてそれだけだと真理に到達できない。最後は人読みが必要になって勝ち負けとなる、というイメージである。似たゲームのアヴァロンなども好きなゲームだが、こちらは2がメインのゲームだと思っていて、1によって絞り込める可能性の範囲が狭い。僕がやっていたネット人狼は1が共通の前提になっているから、2の読み合いで決着が着く、というような環境だったように思う。リアル人狼は、割と1をすっ飛ばして2と3で戦っている世界が多い。

僕は以前、シェアハウスに住んでいてそこで人狼を布教して、1のレベルにおいての人狼の楽しさを伝えようと住民の教育を試みたが、なかなか難しいものがあった。2,3を駆使したコミュニケーションはできるのだが、1で可能性を絞り込むという人狼というゲームの基本的な考えになかなか到達しない。

最近は、人狼というゲームはテレビやネット動画のおかげで有名になったようで、プレイヤーの裾野が広がった。人狼会に行くと、普通に女の子がいたりする。人狼に他の要素を混ぜてコミュニケーションゲームとしての側面を強化したり、変わった職業をいれて楽しんだりしているようだ。これで楽しんでいる人が多い以上、これは正しい進化なのだろうし、ロジカルなゲームを楽しみたいという人間は少数派で別に集まってやっていればいいのだと思う。

ただ少し前の人狼会で、その界隈では有名な人狼名人というような人が現れてゲームをしたのだが、いろんな職業が入っていて、狼や占いが次々に入れ替わり、推理も何も成立しないブラフゲー(という名の運ゲー)をホストし去っていったという事件(僕にとっての)があり、なんだかとても残念な気持ちになったことを覚えている。もちろんその場を盛り上げるためにあえてそういうゲームにしてくれたのかもしれないが、僕が人狼というゲームに感じている良さが何一つとしてなかったので、自分はこの世界では異物なのだろうと感じざるを得なかった。

以上、僕が人狼というゲームがどのように好きであるかの説明だったが、人狼会の魅力は上記のような気難しい話によって一意に決まるものではもちろんない。むしろ、男女比とかのほうが大事だし、オタク集団がお互いの論理的不手際を罵り合いながらゲームしてるだけの空間とかただの地獄だ。なんというか、難しいなあ、というしか適切な言葉がない。

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30代元システムエンジニア。 日本では経営学、アメリカで経済学や統計学などのビジネスを専攻。 趣味は株式投資からゲーム、音楽まで幅広く。 リンクフリーです、ご自由にどうぞ。