「動いている」「止まっている」
読者の方は、この2つの言葉の意味を考えたことがあるでしょうか?
僕たちが止まっていると思っているものは、実は動いています。
地球上で止まっているものは地球の自転や公転の影響を受けているからです。
つまり、僕たちが何かが止まっていると認識するのは、地球という慣性系において止まっているという意味であり、それが唯一絶対的な基準ではありません。
ニュートン力学において、時速40kmの車を時速60kmで追いかけていくと時速20kmのスピードで接近していくわけですが、後ろの車を基準として考えてみれば、前の車が時速20kmのスピードで後退していると表現することもできます。
電車の上に乗った僕たちは周りからみれば動いていますが、本人は吊り皮につかまってじっとしているだけです。
このように、実は僕らが用いている「速度」は、実は相対的な概念です。
そしてこのことは、お金や株、債権などの金融資産についても同じことをいうことができます。
今日の記事では、僕らが普段立っている現金あるいは日本円の世界から、株式の世界に飛び乗ったとき、世界がどのように見えるかを考えてみます。
株式の上からみた世界
株式という慣性系に乗って、世界を見渡すとどのように見えるでしょう?
株式の価値を絶対の基準として考えると、株式の価値は常に一定である代わりに、毎日物価が激しく変動していることになります。
今日買えた値段で明日も買える保証はどこにもありませんが、ひとつ嬉しいこととして平均的には物価は年6%ほど低下していくということがわかっています。
つまり、なにもせずにそのまま持っていれば周りのモノはやがて安くなり、短期的な変動を無視できるくらいになるのです。
でも中には、物価の変動を嫌って、物価に連動する保険のような金融商品を購入する人もいます。
この商品は現金と呼ばれていて、毎年およそ2%程度の手数料を支払うことによっておおよそ物価に連動した価値を保障してくれます。
現金自体の手数料は2%ほどですが、そもそも物価が6%ほど毎年落ちていくので、これを保有すると毎年8%ずつ貧乏になっていきます。
損得とリスクの相対性
このように考えると、
「現金を持っていれば損をしない、株式を持っていれば損をするかもしれないし得をするかもしれない」
「日本円を持っていれば、為替リスクがないから安全だ」
このような損得やリスクの考え方がひどく現金基準、あるいは日本円基準に囚われたものだという風に思いませんか?
ドル/円の為替があがったとしても、そもそもドルと円の価値が両方とも下がっているという可能性もあります。
不思議なことに、一度株式投資に慣れてしまうと、現金を持っていることがひどく「損」であるような気がしてきます。
多かれ少なかれ、投資をはじめると僕たちの心は自動的に株式の世界の住人へとかわっていくのです。
投資をはじめたばかりのときは、損益がマイナスになったりプラスになったりすることに一喜一憂するものですが、やがてそれはどんどん馬鹿しくなっていくでしょう。
現金の世界からみた-1%と+1%の間にある「損益分岐点」は、株式の世界からみればたいして意味のある基準ではないからです。
経済学においては、すでに何か得になる選択肢を持っている人にとって、他の一般人にとってのニュートラルで平凡な選択肢は損になり得ます。
言い換えるならば、株式投資に出会ってしまったあなたにとって、もはや現金の保有することの機会費用は高くなりすぎてしまっているのです。
機会費用って何?という方はコチラ
「速さ」は絶対的で「速度」が相対的ですね
なるほど、ありがとうございます。
修正しておきます。