なぜタイトルが男と女ではなく女と男と記述されているかを含め、今日の記事は昨日の続きなのでまずはそちらをご覧ください。
さて、だいぶ米株ブログというコンセプトからずれてきてる気がするので、今日で女と男の話は最終回にします。
「女が縦棒で男が横棒である」
という話をしてきましたが、違和感を感じた方も多いのではと思います。
なぜなら、現実的にいまの社会を牛耳っているようにみえるのは男性であり、むしろ虐げられてきた女性が権利を取り戻しつつあるのが現状だからです。
ラリー・サマーズが火を付けた論争
2005年1月、当時ハーバード大学総長のラリー・サマーズは、とあるカンファレンスにて、挑発しようという試みだと前置きした上で、
「自然科学者の世界に見られる性別間の大きな格差は性別による生まれつきの能力の差が原因ではないか」
と公言し、この発言への過激な反応をみて彼は職を辞すことになりました。
彼は、次のように言い残しています。
「この考えに関しては、私が間違っていたと証明されることを望む。」
女は競争心がない?
ウリ・ニーズィは行動経済学的なアプローチを用いて、労働市場における性別格差のどれだけが文化によるものなのかの検証をはじめました。
Craigslistの実験
彼はアメリカの情報交換サイト、Craigslistにて総務アシスタントを募集する2種類の広告を出しますが、給料の説明に差をつけました。
一方は固定の時給、もう一方は同僚に比べて仕事ぶりがどうかで給与を決めるというものです。
結果的に競争のあるほうに女性が応募をした割合は男性よりも70%ほども低かったといいます。
迷路の実験
イスラエル工科大学では、コンピュータの迷路を男女それぞれに解かせる実験を行いました。
参加者のグループ1つに15分で迷路をできるだけたくさん解いてください、解いた迷路1つあたり1ドル賞金を払いますと伝えます。
その上で参加者のたちの成績を測ってみると、女性たちは男性たちと同じくらいの成績をあげていました。
他のグループには競争によるインセンティブを与え、一番たくさん迷路を解いた人には大きい割合で払いますと伝えると、男性の成績は大幅にあがりましたが女性はあまり変化がありませんでした。
イスラエル工科大学の賢い女性たちの場合でも、女性は男性ほど負けず嫌いではないようです。
イスラエルの小学校での実験
イスラエルの小学校は徒競走の実験が行われました。
まずは4年生の子のそれぞれのタイムを測り、次に同じようなタイムの子同士で競わせます。
男の子たちは競争の環境に強く反応し、1人で走った時よりもタイムが上がりました。
女の子たちのタイムは1人で走った時と変わりませんでした。
マサイ族とカーシ族
ここまでの結果をみると、女性が競争を好まない傾向にあるのは事実に思えます。
そこで筆者はこの差が文化的なものなのか、生物的なものなのかを調べるために、父系の強い文化の社会(マサイ族)と母系の強い文化の社会(カーシ族)を訪ねて調査を続けます。
カーシ族においては女性の権力が強く、一族の頂点にたつのはおばあさんで、女性が財布のひもを握る文化です。
アメリカ、マサイ族、カーシ族にそれぞれ競争を好むかどうかの実験を行うと、カーシ族がもっとも女性が競争を好む比率が高く、男性が39%に対して女性の54%が競争を好む選択肢を取りました。
また、一つ面白い話として、女性が力を握っている社会では公共性がつよくなり、結果的に全員が得することになりやすいとも語られています。
カーシ族の社会で行われた別の実験では、参加者の多くが自分にルピーを投資するよりも、グループ全体にルピーを投資する選択が多くなされたといいます。
結論
この結果からいえそうなのは以下の2つです。
- 女性も男性と同じだけ、あるいは男性以上に競争好きになれる。
- 女性の経済的影響力のほうが大きい場合、社会はより共感に基づき、より公共の精神を持った場になる。
ちょっとサンプルが少なすぎて、たまたまカーシ族がそういう民族だったんじゃないのという気がしないでもないですが、全体としてこういう傾向にあるのであれば、女性の社会進出をアファーマティブアクション等で後押しすることも正当化されそうです。
女性が競争を好まないのは文化的な要因であり、仮に女性をトップに据えればメンバーの公共心が高まるのであれば、それは全体にとってもメリットがあるでしょう。
ただ、こういったイデオロギーが多分に入り込む余地のある統計データというのはなかなか信用できるかの判断も難しいところがありますね。
昨日が男女差の話だったので、オマケとして書いてみました。
明日からはまた米株ブログに戻ります。
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