とある村の有名ブロガーのありがたいご意見として知ったのだが、ミロを飲んで太るのはワークアウトが足りないらしい。
でも、僕には僕の自由があると思っている。
僕はワークアウトとかいうエネルギーの無駄使いはこの地球上で共に暮す仲間たちのためにもしたくないという思いががあるし、何より僕自身がめんどくさい。(仲間たちを思う気持ちとめんどくささは8:2くらいのバランスだと思っておいて欲しい)
例えば僕がミロを飲んだ時、僕の体の内部で自動的にワークアウトと称される何かが行われるような正の相関性が確認できるというのならばそれでいいが、ミロとワークアウトは残念ながら独立なのだ。
新しい朝がきて、コップ1杯のミロを飲んで(たしかにうまい)、いつもと変わらない食事を終える。
通勤中の僕はいつもよりも少しだけ日差しを眩しく感じる、あるいはその程度の微細な変化は生じるのかもしれないが、最後に残るものは何か。
体重である。
怠惰と寛容と僕
僕は昔から怠惰な生き物だった。
社会人一年目の頃から平気で遅刻をしていたし、なかなか厄介な新人であったと思う。
まあでも僕が朝早く起きるのが苦手なのはほとんど僕という人間の性質であるし、寝ているときの僕は僕自身にも制御できないから、それを責められても・・・・という思いがないわけではない。
でも、僕が初めて配属された職場のPM(プロジェクトマネージャー)はものすごく寛容な人で、救われた思いがあった。
いわく、「組織はいろんなやつがいるから、うまく回ってるんだ」ということで、要するに多様性の原理である。
その職場には、明らかにこいつヤバくねっていう人間として問題のありそうなキャラクターもいたりしたが、うまく回転を続けていたような気がする。
どのような組織にも、働きアリと怠惰な蟻がおよそ8:2の割合で存在するという。
怠惰な蟻を叩いてキレイな組織をつくろうとしても無限に怠惰な蟻は沸いてきて、そうやって内紛は続いていく。
オープニングの話と何の関係もなくいきなり自分語りをはじめる、あるいは働きアリの話をすることで僕が伝えようとしたこととは何か。
米株村への隠喩である。
ブログとミスチルと僕
なんだかまったくロジカルなブログではなくなってしまった。
そもそもロジカル投資術ってなんだよ、ダサすぎワロタという思いがないわけでもない。
もうブログなんて、何を書いても黒歴史にしかならないような気がしてくる。
でも櫻井和寿風に言えば、どちらに転んだとしてもそれはやはり僕だろうということで、毎日更新という重い制約を、たった一日分でもやり遂げるためのネタになったのだと思えばそれでいいのかもしれない。
このブログもまた、8割はロジカル成分だが残り2割はネタで書いているところがあるのであまり真に受けないで欲しい。
いつもと少し違う口調でブログを書いてみる、それが読者の方にとってあるいは気分転換のように映るのかもしれないが、僕が本当に欲しいものは何か。
ブログ村のINポイントである。
明日からまたがんばってロジカルになるからポチっと押して帰って欲しい。
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